スティーブ・ジョブズの人生

1995年2月24日➡アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコで誕生

1961年➡モンタ・ロマ小学校に入学

1968年➡ヒューレットパッカード社のCEOの自宅に電話し、夏にHPでアルバイトを経験する

1968年➡ホームテッド高校に入学

1971年➡友人の紹介で生涯の友スティーブ・ウォズニアックと出会う

1972年➡リード大学に入学

1974年➡「アタリ」で働く

1975年➡「AppleⅠ」完成

1976年4月1日➡「Apple Computer Company」創業

1977年➡「AppleⅡ」発表

1978年➡「Lisa」プロジェクト始動

1981年➡IBMがPC業界に参入

1983年➡ジョン・スカリーをペプシから引き抜きAppleの社長にする

1985年5月31日➡Apple社のすべての業務から解任される

1985年➡「NexT」社を立ち上げる

1986年2月➡「ピクサー」のCEOに就任

1990年➡生涯の伴侶となる妻、ローレン・パウエルと出会う

1996年➡Apple社がNexTを買収

1996年➡Microsoftと業務提供する

2000年➡Apple社のCEOに復職

2001年➡iTunesとiPodによって音楽業界に参入

2003年➡すい臓がんと診断される

2007年➡iPhone発表

2010年➡iPad発表

2011年➡CEO辞任

2011年10月5日➡永眠

⑴ 家族
POINT→「親が4人いた!」

シリア人の父とアメリカ人の母の間に生まれるが出生後すぐに養子に出される。

交際状態だった女性との間にジョブズが23歳の時に子供を授かる。

しかし、数年間血縁関係を否定し続け訴訟に至った。リサに対しての愛情は薄く、認知するまで金銭的な支援もしなかった。しかし、リサの名前にちなんだプロジェクトを立ち上げている。

生みの母親とは、育ての親が他界してから再会した。血縁間関係のある妹とも再会したが、生みの父とは再会はかたくなにしなかった。

妻や親族に見送られながらこの世を去った。

⑵学生時代
POINT→「ウォズの魔法使い×こだわりマン爆誕★」

幼少期「エジソンの生まれ変わりか!? 天才か変人か」

ヘアピンが電流を通すのか疑問に思いコンセントにヘアピンを突っ込んで感電した。

授業中に花火をした。

先生の椅子に自作の爆薬を仕込んだり、教室に蛇を放ったりし小3で停学処分となる。

4年生になって機転の利く教師と出会い、勉強が好きになる。

すでに高校2年生の持つIQを持っていた。

中学時代「奇跡の厚かましさ」

13歳の時、ヒューレットパッカード社のCEOの自宅に電話を掛けた。動機は周波数カウンタの部品が欲しかったからだ。

そこでジョブズはCEOに気に入られ夏休みにHPでアルバイトをさせてもらえるようになった。

青年時代「ついに五歳差の最強コンビ爆誕★」

1971年の夏に当時21歳のスティーブ・ウォズニアックと出会う。

ブルーボックス(不正に無料で長距離電話をかけることを可能にする装置)をウォズニアックが作成する。それをジョブズは学生に売りさばき大きな利益を上げた。

しかし拳銃で脅され販売を中止した。この経験がなければAppleが誕生することはなかったと話している。

1972年、幻覚剤である「LSD」を使用。

大学時代「我が強いんじゃああ!!!!!!!!」

1972年リード大学に入学。

リード大学は学費が高額だったがジョブズはほかの大学を受験することを断固拒否した。

大学では、ユダヤ、キリスト教、イスラム教、アニミズム、太陽神、坐禅、ヒッピー文化に心酔した。

「自分はベジタリアンだからお風呂に入らなくても臭くない」と主張し、お風呂に入らずはだしで校内を歩く時期もあった。

半年間大学に通ったが興味のない必修科目を履修することを嫌がり中退した。

理由は「両親が一生かけて働いて貯めたお金を、意味のない教育に使うことに罪悪感を抱いた」からだそうだ。

中退後もキャンパスを放浪しコカ・コーラの空き瓶を拾って日銭を稼ぎながら、哲学やカリグラフィーなどの興味のある授業を聴講していた。後にこの経験がAppleのデザインに大きく影響する。

⑶ 社会人時代
POINT→「仕事を愛し、仕事に愛されれた男おおおおおおおおお!!!!!」

初期「誰もやらないなら俺がやる!!!」

インドまでの旅費を貯めたいと考える。その日のうちに「アタリ」を訪問。「雇ってくれるまるで帰らない」と宣言しトップを引きずり出す。採用される。

しかし、不潔な姿で仕事し誰彼構わず尊大な態度で接したため「無礼者」と認識された。

インドに旅行に行き、復職したジョブズは「ブロック崩し」の回路の部品減らしを命じられた。自分にはできないことだったので、ウォズニアックに頼る。するといとも簡単にやり遂げた。報酬は山分けでウォズニアックは350ドルを受け取ったが、ジョブズは本当は5000ドルを受け取っていた。

1975年「AppleⅠ」を開発した。しかし、当時の世の中のコンピューターは企業やオタク向けだったので、一般人向けのPCは最新すぎてどこの会社も取り合ってはくれなかった。

そのため、1976年、「Apple Computer Company」を立ち上げた。

【小話】

社員番号を決める際、ウォズニアックに1番が与えられ、ジョブズには2番が与えられた。それに不満だったジョブズは抗議し続け、0番を手に入れた。

軌道に乗る「気分は海賊王」

大手会社IBMがPC業界に参入した。そのため次世代PCプロジェクトととして「Lisa」を立ち上げた。

しかし独断専行な態度から、プロジェクトから外されてしまう。

代わりに「Macintosh」プロジェクトに参加する。最終的には、GUIやマウスを搭載した画期的な商品が完成した。

このときジョブズはメンバーを奮い立たせるために

「海軍に行くくらいなら、海賊になったほうがいい」と名言を残している。

ジョブズは手間を惜しまず、シンプルな美しさを追い求めた。そのため、幾度となく部下たちの設計案を却下し続けた。

転換期「昼ドラ並みの愛憎劇」

ジョブズはペプシの社長のジョンスカリーに目を付けた。

ジョブズは彼を引き抜くために

「このまま砂糖水をうり続けたいのか?それとも世界を変えたいか?」

と口説いた。スカリーはジョブズの猛アピールに屈しAppleの社長の座に就いた。

しかしAppleの業績は悪化し、スカリーとジョブズは対立していった。スカリーが自分を解任させようと企んでいることを知ったジョブズは、逆にスカリーを解任させようともくろむが、1985年5月31日にすべての業務から解任されてしまう。

復活「#トイストーリー特大ヒットさせてみた」

「NexT」社を立ち上げ、さらに最愛の妻となるローレン・パウエルと出会い結婚する。

1986年には「ピクサー」のCEOになり、「トイストーリー」を特大ヒットさせた。

そしてNexTをアップデート社の売り、AppleのiCEOに就任した。

【復活秘話】

NexT社以外にも、実は技術提供候補の会社が3つあった。

その中で、「Be」という会社の担当者が「プレゼンテーションは以前に行っているので以前にご覧いただいた通りです」と述べたのみだったが、ジョブズは自社の良いところも、悪いところもプレゼンし、自分の不得意なところは同行させたほかの社員と協力して、抜かりないプレゼンテーションを行った。

反撃「根に持つタイプは怒らすな」

ジョブズは自分を解任に追いやった役員たちを辞任に追い込んだ。

その勢いのまま血で血を洗いあった「Microsoft」と業務提携をした。

本格復帰「狂気的な情熱」

CEOに就任して以来基本給として、年1ドルしかもらっていなかった。

そのため、「世界で最も給与の安い最高経営責任者」としてギネス認定された。

Mac OS Xを発売した後、iTunesとiPodを開発した。

【部下たちの苦悩…】

iPodの開発途中で、ほぼ最終試作品のものを水槽に沈め、

「酸素分、まだ軽くできる。軽くしろ。」

と部下に命令した。部下はこうしたジョブズの無理難題に苦悩していた。

また、「iMac」命名の際には、「MacMan」をジョブズは直感的に気に入っていたので部下たちが「iMac」を推しても聞く耳を持たなかった。部下たちがあきらめかけた時、ジョブズが急に意見を変えた。

部下の意見を全く聞かなかったのに次の会議にはコロッと意見を変えることはしばしばあり、さらに他人のアイデアでも平気でパクるため、あだ名は「現実歪曲空間」だった。

⑷ 死生観
POINT→「死は生物の最高の発明だ」

すい臓がんと宣告されたが、治療可能な癌だった。それにも関わらず、東洋文化を尊重していたジョブズは、手術をかたくなに拒んだ。絶対菜食や、ハリ治療などで治そうとしたが、9か月後の検査で悪化していることが判明した。

これにはジョブズ本人も相当後悔したそうだ。

休職する前には、家族で京都に旅行に出かけた。

そして、妻や親族に見守られながら自宅で息を引き取った。

最期の言葉は「Oh. Wow」だったという。

【スタンフォード大学でのスピーチ】

鏡の前に立って毎日自分に問いかけた。

「今日が人生最後の日だったら今日やる予定だったことをやるだろうか」

「死はおそらく生物の最高の発明だ。新しきを作るために古きものは消えるのだ。」